携帯を見ていたら、安倍元総理銃撃の文字。
色々調べてみたら、本当に銃撃されたようだ。
で、今回の事件に関してTwitterなどを見てみると、民主主義の終わりなどの言説を目にする。
僕個人が思うこととしては、元から日本の民主主義は堕落する方向に向かってるんじゃないかということだ。
民主主義の堕落は、新自由主義的な政策によって促進される。それについては過去に記事にしたのでそちらを参照してほしい。
さて、過去記事でも書いたことを簡単にまとめてみる。
要するに新自由主義的な政策は、政治への白けを誘発し、公共サービスが自身の利益を重視するようになり、人が資本と見なされ、経済格差が拡大し、民主主義を空洞化するということだ。
結果的には、これまでの日本の政策は新自由主義的な政策を推進してきた。
つまり、民主主義を腐敗する方向へと力を加えたことになる。
その結果が如実に表れているのが、投票率の推移だろう。
上記の画像は、総務省のHPから引用したものだ。
見てもらえば一目瞭然だが、投票率は徐々に減少していって、直近の選挙では全体の投票率が約55%という結果である。
つまり日本人の約半分、二人に一人が棄権している。
なぜ投票しないのだろうか。「政治は自分ひとりの力だけじゃ変えられない。」「政治に何も求めていない。」「政治に興味が無い」といった、「政治への白け」から来た理由から投票しない人もいるだろう。
だがこういった理由もあるだろう。「どこに投票すればいいか分からない。」「政治がよく分からない。」
こういった理由は政治への白け、政治への無関心も影響しているとは思うが、そもそも自分で政策に関して調べることができないという原因があるのではないか。
これは能動的に自分で調べて考える。という作業に慣れていないから起こる現象なのではと思う。
では、どこで考える力を養成することができるのか。それは学校である。
学校は自らの力で考える能力を養成する場所であるはずである。だが、正直言って今の教育制度だと考える力は十分に養成することはできないと思う。
なぜなら、現行の受験制度があまりにもひどいからだ。受験では与えられた問題に対してどれだけ知っているかが問われる。
そのため、受験生は教科書の内容を頭に叩き込み、ひたすら問題を解く。
しかし、これは受験生が自発的に興味を持った内容を自分で調べて、自分の思考を持って主張を作り、それが本当に正しいか自己批判してみたり、、といった能動的な学習態度とは真逆の方向に走ってしまっている。
で、仮に授業内容を充実させたとしても、結局受験生は受験を通過しなければいけないので、試験問題に沿った学習にほとんどの時間を費やすこととなる。
したがって、現在の教育では、生徒に能動的に考えさせる機会を寧ろ奪ってしまっている。その生徒は未来の有権者となる。
これでは、自分で政治について考えてみたりすることすら難しくなってしまうのではないか。それに新自由主義による政治への白けのダブルパンチによって、ますます民主主義は堕落する方向に向かってしまっている。
ではどうすれば、民主主義の堕落を止めることができるのか。それは、教育、特に受験制度の改革と新自由主義的政策からの脱却の二つだと思う。
そして、最後に言いたいことは今回の事件を単に犯人が狂人だったらで片づけるのではなく、もっと日本の政治が現在置かれている現状と照らし合わせながら考え、熟議すべきだと思う。
〇引用
総務省.”国政選挙における年代別投票率について”.
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/
(参照2022-07-09)
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