おはこんばんにちはー
今日は純粋理性批判をダラダラ読んでるよーということについて話そうと思います。
読者諸賢の方々は、純粋理性批判をご存じでございますでしょうか?
これは哲学書の名前なんですが、哲学好きなら大半が知っているような本ですね。
なぜなら、哲学を学問たらしめたとも言われるし、とにかく長くて浩瀚晦渋とも言われているからですね()
うーん、でも僕は哲学大好きなんで、純粋理性批判の読書は続いてるんですよ。
(光文社新訳文庫のものを読んでおり、現在純粋理性批判6の後半に突入。存在論的神学とかの話)
別にこれは僕がすごいということではなく(むしろ、変態的な趣味ですがw)、継続するための条件を無意識に満たしていたからかなーと最近思ったんですよ。
継続するための要素は3つあると今のところは思っていて、1つ目は楽しむ。2つ目は対価を得る。3つ目は脱力。です
具体的に言えば、1つ目の楽しむに関しては、まあ哲学というぶっ飛んでる学問を楽しむということです。
2つ目の対価に関しては、純粋理性批判の読書を通じて得られる知識ですね。(純粋理性批判を読む読まないで哲学に対する造詣はかなり違ってくるのかなー)
3つ目の脱力に関しては、1周目は完全に理解しなくていいやー。自分の読みたい時に読みたい量だけ読めばいいやー。といったものですね。
特に僕は3つ目の脱力が大事だと思っております。
その代わり、3000ページ程の純粋理性批判を1年かけて1周するコースですがね()
最後に告知なんですが、後2ヶ月くらいで純粋理性批判を読破しそうなので、そしたら純粋理性批判の要約と解説を記事にしていこうかなーと思っております。
ですので、それに関してもし要望とかがありましたらコメント欄で是非教えてくださいませ。
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