おはこんばんにちはsenehataです
今回は真面目な話になるんですが、たまには人生の目的について再考するのも良いんじゃないかなーと思いました
なんで良いのかっていうと、人間が取る行為には必ず何らかの目的が背後にあって、その目的にもさらに深い目的があって、そうやって目的をどんどん深く辿っていくと行き着く先には生きる目的にたどり着くからなんですよね。
したがって、その最初の生きる目的に今取るべき手段は強く依存しているわけです。そんで、その最初の目的について考えてみて、何か改善できそうなら改善すると良いのかなと思います。
ここでいう改善とは何かというと、自分がさらに求めたい目的にするということです。
求めたいというのは抽象的なものではあるのですが、なぜここが抽象的なのかというと、ここを具体的なものにすると、それは属人性のある話になってしまうからです。即ち一部の人にしか当てはまらない話になってしまうからです。
人は誰しもが何らかを求めているというのは恐らく間違いないです。何かを求めてそれを達成したいと思いながら生きているはずです。(それを求めたいと思うだけか、実現するために行動するかは人によるが)
では、人生の目的を自分がさらに求めたい目的にするにはどうすれば良いのだろうかと考えてみると、考えられるのが、目的の精緻化と未来の想像です。
精緻化というのは、できるだけ細かく言語化するということです。未来の想像というのは、実際にその目的に近づく自分を想像して果たして自分の精神はどういう風に変化するのかを考えるということです。
この目的の精緻化については考察してみたり、何か書物を参考にするのが良いでしょう。個人的にはここでいう書物はやっぱり哲学書がおすすめです。というか、特に素晴らしい哲学書は2000年という時代の波を超えていまだに受け継がれているものなので、価値があって当然なんですよね。
とはいえ、こういった目的の精緻化や未来の想像をやった途端に自分がめちゃ変わるということは起きません。なぜなら、すでにある程度自分の人生の目的というのは自分の中でそれぞれ決まってるからです。
ここでいきなり変わった!!みたいな状況になったらそれは恐らくあなたは胡散臭い宗教やセミナーなどに洗脳されてると思います()
しかし、大きく変わることはなくても、少しずつ改善するだけでもそれは人生全体で見たらかなり良い影響になると思っています。なぜなら、目的が良くなることはそのまま手段も最適のものに近づくからです。
人はこうやって再考する時間を作らないとどんどん近視眼的になって手段の改善ばかりに注力して目的の再考をしないのが往々にして起こるので尚更ですね
なので、たまには人生の目的について再考するのは意義深いよっていう話でした〜
(余談)
ちなみに僕は、今僕やあなたが生きているこの世界について形而上学的な意味合いにおいてなるべく理解したいと思っています。つまり例えば存在とは何かという問題などにまずは正面から時間をかけて向き合いたいっていうのが一つ。
そして、形而上学だけにとどまらず、あらゆる手段を通じて世界への理解をとにかく深めたいと思っています。なので、学問に壁を設けず、とにかく世界への理解を深めるための学問を片っ端から学ぶ。そしてそれらの奥深さを存分に味わいたいというのが二つ目。
そして発見した事柄を僕と同じような考えを持っている人、つまり探求に興味がある人に共有したいというのが三つ目。
そして、面白い生き方をしてみて、何か得られたことを2000年後の誰かに与えてみたいというのが四つ目ですね。なんで2000年後にしたのかというと、僕が2000年前の哲学者の思想に深く感銘を受けたからですw
それとその他としては単純に色々楽しみたいというのもあります。
これらは今現在思っていることで、もちろん時間が経てば増えたり減ったり変わったりするでしょう。でも学問に関わるというのは変わらない予感がします。
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