おはこんばんにちは senehataです。
今回もゲーム開発日記シリーズですね。前回はリファクタの話をしました。
前回の記事
今回は「タスク」について話していこうと思います。
なんならゲーム開発以外でも通用する話になるんじゃないかなと。
まず、なんでタスクについて話そうと至ったのか経緯について話していこうと思うのですが、ゲーム開発って基本的には長期戦だと思うんですよ。今は動く漢字間違い探しというゲームのアップデートにずっと時間を掛けているのですが、今開発しているのがVer1.5なので5回目のアプデとなってます。
そして恐らくですけど、ゲームデザインの設計などを含めると恐らく400-500時間くらいは掛けてると思います。
それでも、ゲームの改善案って次から次へと湧いてくるんですよね()
どういう原因で湧いてくるかというと、例えば誰かにテストプレイしてもらった時にもらうフィードバックだったり、他のゲームの面白い部分を援用できないかなーというものだったり、自分のゲームに熱中している時だったりですかね。
テストプレイやってもらうと良い案が沢山出るって話は昔しましたね。
それと自分のゲームに熱中するって話は今度詳しく話しても良いかなーと思ってるんですが、自分のゲームでゾーンに入るということです。これやると何故か次から次へと改善案が思いつきます(原因はまだ未考察)
まあとりあえずゲームの改善案は作ってる途中でもかなりの数生まれてきます。そうなるとゲームの完成って実質無いんじゃないか??って結論に至ると思うんですよね。
ただし現実の世界では時間の制約は付きものだし、そもそもな話人生の時間は有限なので大量に湧き出る改善案、すなわちタスクを無思考状態で全部ゴリ押しでこなすのは、ちょっと非現実的かも?と思ったのがタスクにも取捨選択が必要なんじゃないかと思った動機ですね。
別に最初から自分が作るゲームの設計はすべて洗い出されていて、今後一切新たな要素を付け加えないし、制作期間もそんなに長くないなら全てのタスクを一から消化するって方針で全く問題ないと思います。ですが、途中で浮かび上る改善案をどんどん採用したり、厳密な完成を定めないような方針を取るなら全てのタスクを一から消化するのは開発期間が半永久で伸びてしまうという意味で非現実的です。
なんなら、今作っているゲーム以外にもまた新たなゲームだったり、ゲーム制作以外の何かに時間を割いたほうが自分の目的達成に貢献する可能性だって十分にあります。(これは個々人が何を自分の目的にするかによって変わりますが)
したがって、一つ一つの改善案(タスク)について果たしてどのくらいゲーム体験の向上に繋がるのだろう?と一度立ち止まって考えてみるのが、長期的な視点に立てるという意味で良いのかなと思いました。
例えば、今ある改善案の中でめちゃくちゃ有益で重要なタスクと、無いよりはあった方が良いかも?レベルの些細なタスクがあったとします。そしてお互い同じくらい時間がかかるとします。で、まあどちらを先にやるかと言ったら勿論ほとんどの人が前者を選ぶでしょう。わざわざ後者を選ぶ理由は何かこだわりを持っている人くらいでしょうね
でも、この選択肢でなぜ前者を選べたかというと、それぞれのタスクの価値を前もって概算したからですよね!
つまりタスクの価値を概算しなかったらこういう意思決定はできずに一から全部やるかーっていうゴリ押しになるはずです。元々は価値の重みに差があったとはいえ、両方のタスクはどちらもゲームの面白さに貢献するものです。ですから、前もった内省が無ければ恐らく全部ゲームの面白さに資するものみたいな同質なものに見えかねないという事態に陥るのかなと思います
それに改善案は開発中にもどんどん湧いてくるので、些細だけど時間がかかるタスクを行っている間に、価値が高く重要だがかかる時間は今行なっている些細なタスクと同じみたいなものが生まれるかもしれません。
なので、一度立ち止まってみて今ある大量の改善案をそれぞれ確かめて、ゲーム体験の向上という観点からどのくらい重要なのだろうと一つ一つ考えてみるのは極めて有益なのかなーという結論です。
ちなみに余談で自分のゲーム制作の話なのですが、レベル上がるごとに漢字が動くスピードを上げようと思い、その際にUIエフェクトを出そうと思ったんですけどそのエフェクト一つ作るのに10時間以上かけてしまい、うーん他のことに時間を割くべきだったのかなーとぼんやり考えてました、、
ただ、ゲーム制作は趣味としても行なっているので、ゲームを面白くするためにタスクを最適化するっていう話が重要なのは当たり前なのですが、開発者自身が面白いと思えるタスクの価値についても十分考慮してあげると良いのかなーとも思いますね。
ちなみに今話した話はゲーム制作に留まらず、目的をもって長期的に行う事柄全般に適応できるのかなと
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