【考察】自由と平等は対立する概念であるとする主張が犯している誤謬

こんにちは。

今回の記事では自由と平等について考えてみようと思います。なぜこの事柄について考えるに至ったのかというと、自由と平等は相反する概念のような図式でニュースで流れていたのですが、一体本当に相反して対立する概念なのかが気になったのでこの考察をしてみることにしました。また、自分の中では自由と平等という概念は対立しないように見えるけれども、いざそれについて説明してみようとすると今一よく分からない。この状況も打開したいという理由も重なってこの考察をすることにしました。

今回の考察に当たってはとりあえず憲法学の書籍の平等・自由に関する項のみを読んで考えてみたものなので、かなり浅はかな考察だと思います。ですから、この考察は読者にとっては理解・考察の叩き台として使っていただけると良いのかなと思います。

1.平等とは何なのか

そもそも平等とは何かを考えてみる。辞書的には「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと。」と書いてある。(広辞苑引用)
とても大雑把に言えば、不当に劣位な状況に立たされる人や集団がいないことが平等であると言えるだろう。

日本国憲法14条1項には「すべての国民は、法の下に平等にあって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」とある。

ここで、14条1項は、絶対的平等なのか、相対的平等なのかといった問いが浮かぶ。絶対的平等とは各人が全く同等の処遇を受けることに対して、相対的平等とは等しいものに対しては等しく、等しくないものは等しくない程度に処遇を受けることを意味する。

憲法学的には、相対的平等が妥当であるとされる。なぜなら、現実問題各人の事情は異なっており、それに応じた処遇をしないと返って不平等になってしまうからである。例えば、たくさん働いたAさんと、ほとんど働かなかったBさんが同一賃金というのは不公正と指摘されるわけである。

絶対的平等を志向すると返って、不平等になるという視点は大事かもしれない。

2.自由とは何なのか

憲法では様々な自由が保障されている。例えば、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、集会結社の自由、学問の自由、経済的自由などが挙げられる。これらは、まず国家が個人の自由を抑制するような状況を防ぐ役割をまず持つ。また、民主主義を正常に機能させる役割も担う。ただし、自由を無制限に拡大すると社会の秩序が崩壊してしまうので、そこは公共の福祉に反しない限りで自由が保障される。

3.自由と平等は両立しないのか。相反する概念なのか。

この章が本記事の肝なのだが、一体、自由と平等は対立するのだろうか。気づいたこととしては、絶対的平等と自由は相反する概念なのかもしれない。なぜなら、絶対的平等とは各人が全く同等の処遇を受けることを意味する。そして絶対的平等の考えに基づいて、全国民の給料を一律にするとしよう。しかし、これは経済的自由として位置づけられる財産権に反すると考えることができる。

憲法29条1項では「財産権は、これを侵してはならない」と規定されている。財産権とは、財産権的価値を有する全ての権利を指し、所有権、物権、債券、著作権、特許権、鉱業権、漁業権などが含まれる。この財産権は保障されることによって、私有財産制度が保障されるという役割を担っている。

しかし、仮に全国民の給料が一律になるとしたら、自分から財産を手に入れることができなくなってしまう。もちろんこれは財産権に大きな制限がかかることを意味する。よって、絶対的平等の考えは財産権という経済的自由に反することが分かる。

これで確かに自由と平等が反するケースがあることが確認できた。だが、そもそも憲法学的には日本国憲法における平等とは、絶対的平等ではなく相対的平等を指すということは既に記した。となると、現在相対的平等が守られている日本では、平等と自由が対立するケースがあるのか考えてみた。だが、恐らくないだろう。

まず、自由と表せられて保証されているものは、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、集会結社の自由、学問の自由、経済的自由などである。これら一つ一つの自由に相対的平等との対立点を探してみたのだが見つからなかった。少なくとも、平等と自由の対立が顕著になるのは、既に記した、絶対的平等と財産権の対立しか探すことができなかった。

では、なぜ自由と平等は相反する概念として語られるのだろうか。まず上記の絶対的平等と財産権の対立から自由と平等は両立できない。といった主張が考えられる。だが、仮に絶対的平等を志向すれば、たくさん働いても、怠けても同じ給料ということになったりで、この状況こそ平等ではないというのは既に記した。言い換えれば、絶対的平等の中には不平等を内包しており、絶対的平等の概念は自己破綻するものと考えられるだろう。

だが、このような絶対的平等の概念を、相対的平等の概念と明確に分けることなく、自由と平等が両立しないと論じることは誤解を生むことに繋がるので避けるべきだと思う。

また、自由といっても、経済的自由だけが自由と言われるものではないということは、ここまで読まれてこられた読者なら当然分かることだろう。

そして、補足的に分かったことなのだが、自由と平等の対立点のようなキーワードでネット検索してみると、ほとんどの主張が「自由になると格差が生まれるから自由と平等は両立できない」といった趣旨の主張がほとんどだ。

繰り返しになるが、平等にも種類があるし、自由にも種類がある。それを特殊な条件下で自由と平等を対置させ、それが両立できない事から、普遍的に自由と平等は両立できないという帰結を導くのは誤謬であることは上記の考察で既に明らかにされていると思う。

補遺

自由と平等が対立するという事よりも、自由と公共の福祉との関連性の方が概念が相反しあう場所があるのではないかと思う。

4.まとめ

とりあえず、どうやら自由と平等は両立できないといった主張を普遍的に主張することは間違っているということが考察から導けた。しかし、今回の考察は憲法学的な自由と平等に関して考察したのみで、まだ哲学的な理念などは勘案されていない。よって、もっと深堀りした考察をすることもできるだろうし、そこから新たな帰結にたどり着けるかもしれない。

 

引用文献

安西文雄 巻美矢紀 宍戸常寿「憲法学読本 第2版」有斐閣、二〇一一年

「広辞苑 第七版」岩波書店、二〇一八年

 

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