前回から引き続き国富論の要約をする。

物の価値とは何か
スミスは物の価値の源泉を労働であるとした。(労働価値説)
商品の価値は、自分で使うか消費するためではなく、他の商品と交換するために保有している人にとって、その商品で支配・購入できる労働の量に等しい。したがって労働こそが、すべての商品の交換価値を測る真の尺度である。
この説明には、そもそも商品は誰かの労働の生産物である。と考える背景が存在する。
そして、この労働価値説を二つに細分化した考えをスミスは混在しながら持っていた。それぞれは投下労働価値説と支配労働価値説と呼ぶ。
まず投下労働価値説から解説する。
物の真の価値、つまり、ものを入手したい時に本当に必要になるのは、それの生産に要する手間であり、苦労である。
ただし社会では、その「手間」を金銭や財貨で交換する。すなわち、財貨にもある量の労働の価値があると考えることができる。
例えばある服を作るのに職人が10時間掛けた場合は、その服には職人の作業10時間分の価値があるとみなせる。
次に支配労働価値説を解説する。
富を所有し、何か他の生産物と交換したいと望んでいる人にとって、富の価値はそれで購入できるか支配できる労働の量に全く等しい。
どちらかというと、労働力を支配しコントロールする経営者側から見た考えなのだろうか。
例えばリンゴをあげると、釣り上げるまで1時間かかる魚を入手できるとしよう。するとリンゴには魚を釣り上げるまでの1時間の労働時間の価値があるとみなすことができる。
ここまで商品の価値を労働で考えたが、労働の質が違ったり、異なる労働の量を比較するのが困難などの理由があって、社会では一般に商品の価値を金銭の量で考えることが多くなったようだ。
ただし、スミスにとって商品の真の価値は労働であるという部分は変わらないと強調していた。
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参考文献
アダム・スミス/山岡洋一 訳「国富論ー上」、日本経済新聞出版社、2007年
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