前回に引き続き国富論の要約をしていく。
前回の記事
通貨の起源
分業が確立した後は、賢明な人であれば未来のために他者との交換で断られないと思えるものを自分の生産するもの以外にある程度保有しておくのが自然だろう。とスミスは考える。
その手段として未開の社会では、家畜や塩、貝殻などが便利な交換手段として使われていたようだ。
しかし、これらのものはやがて金属に取って代わられる。それには理由が二つある。第一に金属ほど腐りにくいものがないので保存に極めて適している。第二に、どれだけ分割しても価値が下がらないので溶解したり分割することも問題ないのだ。
これは例えば取引の時に家畜を半分に割るなんてことは不可能なのを考えると金属は交換に便利であることが分かる。
ただし、加工していない金属には難点も二つある。第一に重さを測るのが厄介であること。第二に純度を調べるのも厄介であること。
貴金属の場合はわずかな重さの違いで価値に大きな差が出るので慎重に重さを秤などで毎回計測する必要があるし、金属全般に言えることは純金属と見せかけて中に不純物を混ぜるような詐欺的な行為もできてしまうということだ。
こうした難点を取り払うために、国が一般に使われる金属の一定の重さのものに公的な刻印を押すようになった。これが硬貨の起源と言える。硬貨は刻印が両面の全体に渡り刻まれており、金属の純度と重さを証明するとされた。
ちなみにそれでも偽造されてしまわないかと個人的に思ったのだが、どうやら通貨偽造の罪は古来から社会を揺るがすような案件と認識されているようで重み罪が規定されてきたようだ。なんなら貨幣偽造を戦争の手段としても用いられたというケースもあるようで歴史と紐付けるとなかなか興味深い。
まとめ
今回の記事は少し早いがここで終わりにする。というのも、次の章がだいぶ厚いので。
参考文献
アダム・スミス/山岡洋一 訳「国富論ー上」、日本経済新聞出版社、2007年
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