今回の記事では国富論の要約をしていこうと思う。
記事の構成なのだが、国富論は厚い本なので一つの記事で全てを要約すると極めて長い記事になってしまうので、少しずつ区切りながら記事にしようと思っている。
また、自分の学習として要約するという目的もあることから、自分の考察も織り交ぜながら記事にしていく。なので純粋に国富論の中身のみを扱うということはせず脇道に逸れたりする可能性もあるのでそこは注意していただきたい。
分業について
今回は国富論の最初に触れられている分業について要約したいと思う。
冒頭からこう言い切る
労働の生産性が飛躍的に向上してきたのは分業の結果だし、各分野の労働で使われる技能や技術もかなりの部分、分業の結果、得られたものだと思える。
スミスにとって、分業とは社会が繁栄するに至った直接的な原因であるとも言えるのであろうか。
分業が労働の生産性を向上させる要因は三つあるという。
第一に、個々人の技能が向上する。第二に、一つの種類の作業から別の作業に移る際に必要な時間を節減できる。第三に、多数の機器が発明されて仕事が容易になり、時間を節減できるようになって、一人で何人分もの仕事ができるようになる。
自分はこの箇所を読んだとき、ライン生産方式のことを思い出した。
ライン生産方式といえばフォード社が採用した生産方式として有名で、ベルトコンベヤ上で製品の生産を一連化させて、そのコンベヤに沿うように従業員を配置すれば、ものすごい効率的に生産できるというものだ。
これはまさしく分業の究極系と言えるのではないだろうか。
※ただ、このライン生産方式では在庫の問題だったり従業員の労働意欲低下問題などが孕んでいるのだが、その話をすると脇道に逸れすぎるのでここら辺で止めておく。
分業の起源について
ではこの労働の生産性を爆発的に発展させてきた分業は一体どこから発生したのだろうか。
人間にはものを交換し合う性質があり、その結果、ごくゆっくりとではあるが、必然的に分業が進んできたのだ。
文明社会では、人は常に誰かの協力を得ながら生きている。もっと言うと、今自分の持っている物や使っている物はほとんどが購入した物であるだろうし、多種多様な公共サービスや商業的なサービスも受けている。
生活で使っているもの全て自分で作ったという状況や、社会的なサービスを何一つ受けていないと言う状況は文明社会に生きる人に当てはめて考えるのは難しい。そういった状況になるには恐らく未開の地や無人島で一人で生きないと不可能だろう。もちろん文明社会の援助を一切受けずに。
そうした物やサービスは交渉や交換、売買によって得ている。そして、分業が始まったのもやはり、ものを交換し合うこの性質のためであるとスミスは考えている。
市場の大きさによる分業への制約
分業は労働の生産性を上げるものではあるものの、その広がりには制限がある。
分業は交換の力によって生まれるものなので、分業の程度も交換の力の強さによって、言い換えれば市場の大きさによって制約される。
市場が小さいと生産したところで交換できないので、市場の大きさが生産量の上限、分業の幅も規定しているということだ。
ところで、水上輸送を用いれば陸上輸送に頼るよりもはるかに大きな市場を確保できるようになる。したがって、各種の産業が自然に分化と発達を始める。なので、産業が真っ先に進歩するのは、沿岸地帯と言える。
そしてスミス曰く、エジプトが最も早い時期に農業や手工業が発達し、それは架線を使った航行が容易で普及していたことが恐らく主因の一つであると言及している。
まとめ
今回は国富論の序盤で触れられる分業について要約した。また続きについても要約していく予定だ。
次回の記事
参考文献
アダム・スミス/山岡洋一 訳「国富論ー上」、日本経済新聞出版社、2007年
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